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2016年1月27日号 Vol.11

特集 Saint Laurentという理由<後編> #01 イヴ・サンローランの晩年

2016年01月27日 19:55 by monthly_tecci


イヴ・サンローランとフレンチブルドッグの愛犬ムジーク(Moujik)
出典:http://petomo.net/

「モードの帝王」としてモード界で革新的創作を続けてきたイヴ・サンローランでしたが、1990年代以降、ヨーロッパの大手コングロマリット企業のラグジュアリーブランドビジネス参入における買収合戦に巻き込まれていきます。彼の晩年はある意味その流れに翻弄されていたのかもしれません。

イヴ・サンローラン社は1989年、ファッションブランドとしては初めてパリ証券取引所への上場を果たしますが、わずか4年後の1993年にはサノフィ・ボーテ社に買収されます。

1997年、プレタポルテのメンズライン「イヴ・サンローラン・リヴ・ゴーシュ・オム」を発表し、アーティスティック・ディレクターにはエディ・スリマンが就任。
1998年、サンローラン本人はオートクチュールのみに専念し、プレタポルテのレディースライン「イヴ・サンローラン・リヴ・ゴーシュ」はアルベール・エルバスに任されることが発表されました。

 


イヴ・サンローランとエディ・スリマン(2001年)

しかし翌1999年、ピノー・プランタン・ルドゥート(PPR・現ケリング)社オーナーであるフランソワ・ピノーが、ホールディングカンパニーを通して、イヴ・サンローランを傘下にしていたサノフィ・ボーテ社を買収し、その後プレタポルテの「イヴ・サンローラン・リヴ・ゴーシュ」及び香水部門をグッチ社に売却しました。
このグッチ社による買収を受け、2001年より「イヴ・サンローラン・リヴ・ゴーシュ」のデザイナーにはアメリカ人のトム・フォードが就任します。

オートクチュール部門はPPR傘下に残り、サンローラン本人がオートクチュールデザインを続けましたが、この買収によるデザイナー交代劇のなか、当初はオートクチュール部門もトム・フォードに交代する話が持ち上がっていたようです。
しかしサンローラン以外の者がイヴ・サンローランのオートクチュールをデザインすることなど有り得るのだろうか、周囲は敏感に反応し、その反発があまりにも強かったと言います。それほどまでにイヴ・サンローランはファッション界でその存在が神格化されていたということでしょう。

(トム・フォードは1994年に33歳でグッチのクリエイティブ・ディレクターに就任し、創業家の内紛スキャンダルにより衰退の一途を辿り、ブランドとしての評価が地に落ちていた当時のグッチを見事に再生させた立役者です。デザイナーという役割だけに捕らわれず、経営やビジネス面もコントロールする統括的な役割を担い、瀕死状態にあったブランドを奇跡的に復活させ、その再生劇はモード界の伝説となりました。
しかしイヴ・サンローランでのディレクター就任からわずか3年後の2004年、ピノー・プランタン・ルドゥート(PPR)がグッチを買収したことで、PPRの方針に折り合わなくなったトム・フォードは、兼任していたグッチとイヴ・サンローランのディレクターの職を辞任しました。)

そして遂にその日が訪れるのです。
2002年1月7日、65歳のイヴ・サンローランは自ら声明を読み上げ、引退を発表。モード界が芸術性を重んじるよりもあまりに商業至上主義化したことに嫌気がさしたのが理由とも言われています。

引退を伝えるニュース映像

お集まりの皆様
今日 私は心からの想いを込めて

重大な発表をいたします
私の人生 及び職業に関することです

私は18歳でディオールのアシスタントになり
21歳で後を継ぎました

そして 1958年最初のコレクションから
成功に恵まれました

あれから 44年が経とうとしています
以来ずっと 仕事に すべてを捧げて生きてきました

誇りに思います 世界中の女性がパンタロンスーツや
スモーキング ショートコート トレンチを着ています

私は現代女性のワードロープを創造し
時代を変革する流れに参加したのです

うぬぼれるようですが
私は昔からかたく信じていました

ファッションは女性を美しく見せるだけではなく
女性の不安を取り除き
自信と 自分を主張する強さを与えるものです

人は生きるため とらえがたい"美”を必要とします
私は それを追い求めとらえようと苦しみ
苦悩にさいなまれ
地獄をさまよいました

恐れや耐えがたい孤独に怯え
精神安定剤や麻薬に頼ったこともあります

神経症に陥り更生施設に入ったことも

でも ある日迷いから覚めて
立ち直ることができました

プルーストは書いています
"極度に神経質な痛ましくも すばらしい一族に属する”と

望んだ"一族”ではないですが
そのおかげで
私は"創造の天国”に昇れたのです

ランボーが言う
"火をおこす者たち”と接し
自らを見いだし 知りました

人生で最も大切な出会いは
自分自身と出会うことなのだと

しかしながら 私は今日
心から愛した この職業に別れを告げます

引退発表のスピーチ:映画「L'amour fou」の日本語字幕より引用
(※映画では実際のスピーチを抜粋したかたちで編集しています)


2002年1月22日、パリのポンピドゥーセンターで、サンローランの創作活動を回顧する最後のオートクチュール・コレクションが開催され、ショーの最後には、女優のカトリーヌ・ドヌーヴがランウェイに立ち、歌を捧げました。ドヌーヴはサンローランの長年のミューズであり、1967年公開のドヌーヴ主演の映画「昼顔(Belle de jour)」の衣装を手掛けたのはサンローランでした。

最後のオートクチュール・コレクションでのラストシーン

サンローランの引退に伴い、オートクチュール部門は閉鎖され、以後、ブランドはプレタポルテのリヴ・ゴーシュのみの展開となります。もはや、ブランド「イヴ・サンローラン」の象徴であるオートクチュールを終わらせることができるのはイヴ・サンローラン以外には有り得ないことは明らかでした。

引退後、サンローランは殆どの時間をこよなく愛した思い出の地、モロッコのマラケシュでパートナーであるピエール・ベルジェと共に過ごします。
そして、2008年6月1日、71歳のサンローランは脳腫瘍によりパリ市内で死去。最期を看取ったのは、ベルジェと、長きにわたりサンローランのミューズであり親友であったベティ・カトルーでした。

パリのサン・ロッシュ教会で執り行われた葬儀には、当時の二コラ・サルコジ仏大統領とカーラ・ブルーニ・サルコジ夫人(イヴ・サンローランのショーにも出演したことがある元トップモデル)をはじめ、800名もの各界の著名人が参列し、「モードの帝王」の死を悼みました。


葬儀後の6月11日、サンローランの遺灰はベルジェにより、マラケシュのマジョレル庭園にまかれたとのことです。



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